今に至る、お金の歴史
お金は、もともとは貝ですね。
でも、貝は重いし、運んでる最中に破損も多い。
なので、金・銀・銅貨へと変わっていきます。
ローマ時代は、ゲルマン人に対抗する傭兵を雇うために、
アフリカ産のソリドゥス金貨を使っていたという記録が残っています。
しかし、ゲルマン人は屈強でガンガンきたようですから、お金がかかるかかる。
そんなこんなで財政難からローマ帝国が衰退すると、
アフリカからの金の流入も途絶え、金貨に混ぜ物が増えて、質が低下。
結果、価値もどんどん下がり、財政難とインフレで、ローマ帝国は崩壊しました。
一方、中東地域はあまり金が採れないので、
古代ペルシア帝国は、銀(Silver)を使ってました。
また、16世紀に100年近くヨーロッパで流通していて、
ヨアヒムスターラーと呼ばれていた
ヨアヒム谷のターラー銀貨 [thaler] は後に、
ダラー(ドル) [dollar] の語源になったとも。
金本位制から信用創造へ
銀行の誕生
12-13世紀頃になると、イタリアに、
銀を預かって、その預かり証を発行する両替商が登場。
イタリア語では、両替机をバンコ [banko] といい、
ここから銀行 [bank] が生まれたと言われています。
ちなみに、簿記自体は、約4000年前の古代バビロニアには、既にありました。
現存する最古の記録ってだけなので、もっとそれよりも前からあるかも?
ただ、今のところ、複式簿記と銀行の始まりは、
イタリアということになってます。
バンク・ラン
で、そうすると、その預かり証が勝手に流通するようになります。
当時は、金=預かり証という1対1の本位制ですから、
奥さん、奥さん、
あの銀行さぁ、金庫があんなちっちゃいのに、
預かり証をバンバン出してておかしくな~い?
やっぱりアナタもそう思う~?
おかしいよね~!
ねぇねぇ、奥さん、奥さん(以下同)
って、地元で噂になったりもするんですね。で、
あら、言われてみたら、確かにそ~ね。
あそこに預けておくのは、心配になってきたわ!
ちょっと、預けてあるの出してくる!
ってなってくると、預金者が殺到して換金したりして、
銀行が、割とよく潰れたりもしていたのです。
これをバンク・ランと言い、
今でも銀行が潰れる場合は、大体このパターン。
というのも、銀行は、そもそも預金者がそんなに預かり証を
換金しに来ないだろう前提で、預かり証を発行しているのです。
それこそ最初は、1対1の本位制で預かり証を発行していたけど、
意外と、みんな取りに来ないなって。
信用創造の時代
銀を預けておいたことをすっかり忘れてしまうほど
長寿な人はそんなに多くない時代でしょうが、
それこそ預金者が若くして亡くなったり、
預かり証をなくしたり、盗まれたり、
余所へ移ったり、気づいたら他の国になってたり、、、
やってみたら、思ったほどみんなが取りに来ないなって。
そうすると、もっと預かり証が出せるんじゃないかなって。
そんなこんなで色々と試行錯誤してみた結果、
大体、預かってる金の10倍ぐらい、預かり証を発行してもオッケーとなりました。
これが、広い意味での『信用創造の始まり』と言われています。
そして、両替商(民間銀行)の発行する預かり証が、
やがてそのまま各国で流通し、貨幣価値をもつようになりました。
となると大事なことは、後ろに国家権力や、
それに類するものがある『法貨(法定通貨)』かどうか。
一番最初の『法貨』は、11世紀のタリー・スティックとする説が、今の主流です。
金本位制の時代から貨幣経済へ
そして時代は、大航海時代へ。
まず、大艦隊を擁するスペインが、軍事力で領土を広げ、
新しい銀山を手に入れて、富を吸い上げていきました。
ところが、100年で銀山が枯渇し、そのシステムが崩壊。
その隙をついたのが、イギリスです。
アルマダの海戦で、スペインの無敵艦隊をイギリスが破ったぞ~!
って、学校の歴史で習った方も多いんじゃないかしらん???
勝ったイギリス側がニュースにする時に、皮肉のように「無敵艦隊」って
名付けた説もありますけどね。やりそ~ではある。
ま、どちらでもいいんだけど(笑)。
そしてイギリス人は、銀山を直接経営しなくても、
貿易代金で、銀を受け取ればいいんじゃね?
ってことに気づきました。賢い。
Banker(バンカー)の勝利
1642年~1651年に、日本語では何故か「ピューリタン革命」や「無血革命」と訳されている
イギリスの内戦(English Civil War)が起こります。
そんな内戦の結果のひとつが、Bank of England(イングランド銀行)の設立ですから、
これは、バンカー vs バンカーじゃない政府との戦いであったし、
その結果、バンカーが勝利したということになります。
その後、アメリカでも似たような流れが起きてますね。
1775年~独立戦争の結果、Bank of America(北米銀行)が出来ます。
これがアメリカ初の部分リザーブ銀行。
部分リザーブというのは、実際には、貸し出すお金の10%があればオッケーってヤツですね。
その後、First Bank of United States(アメリカ合衆国第一銀行)が、ドルの印刷を独占。
1861~65年にかけて、日本語ではこれまたなぜか「南北戦争」と訳されている
American Civil Warが起きたり、その後もすったもんだありましたが(←雑まとめ再び)
歴代大統領の中には、銀行ギライの大統領なども何名かおりまして、
しばらくは、アメリカに中央銀行は作られなかったのです。
そんな中の大きな転機としては、1907年恐慌により、
各銀行からマネーサプライがなくなって困ってたところに、
おやおや、みなサーン。お困りのようですね。
よかったら、ウチが約2億ドルをリザーブなしで刷りますよ!
って、J. P. モルガンさんが、中央銀行のような役割を果たしてくれちゃったんですね。
そして、1910年に、秘密裏のジャッカル島(ジキル島)の会合などがあり、
そこに集まったメンバーたちと、救世主となったJ. P. モルガンさんが中心となって、
1913年12月22日というクリスマス休暇中に、いきなり議会招集して、
その時に来た人だけで、フェデラルリザーブ(連邦準備法)や所得税法が作られ、
FRB(Federal Reserve Board)が設立されました。
ちなみに、FRB設立に深く関わったと言われているのが、渋沢栄一さん。
彼は、通貨の世界ではスゴイ人です。通貨の世界だけじゃないけど、、、
そして、何をもってスゴイとするかは人によると思うけど、、、
貨幣経済時代へ
そして、偶然にも、翌1914年からは第一次世界大戦が勃発しました、と。
一番儲かる貿易といったら麻薬だし、戦争だよね。
な~んてことは、きっと偶然。
それまでは、領土や奴隷という、いわば物質的な資源獲得が目的だった戦争も、
貨幣経済の時代になると、だいぶ趣が変わってきます。
さて、少し遡ると、中国(清)ではアヘン戦争が起こって、
世界の大国と認識されていた清がほぼ滅びたり(←雑)
アヘン戦争で稼ぎまくったジャーディン・マセソン商会の暗躍で、
日本では明治維新が起こって、300年続いた徳川幕府が滅んだりしましたよね。
そんな、清の弱体化や、チンピラはびこる明治政府のザルっぷりを見てか、
ロシアが東方面での南下政策を企んできたんです。
長い冬の間、雪に閉ざされる北国にとっては、
不凍港の獲得は長年の悲願ですから、
その時に始まったことでは全然ないけれども。
日本の、とある日本海側エリアにも、「えっ、そんな昔からロシア来てるの?」って
痕跡が残っているところ、ありますよ。
しかし、満州の北部も通過するシベリア鉄道が完成してしまうと、
ロシア軍の本隊が、数日で東に来られるようになってしまいます。
なので、ここはなんとしても防がねばならぬ~! となりましたが、
どう見積もっても、当時の日本にロシアと戦えるほどの戦費がなかったので、
日銀副総裁の高橋是清サン(当時)は大層困っておりました。
そんな困っていたところに、突然現れたのが、
ジェイコブ・シフというアメリカ系ユダヤ人。
おやおや、タカハシサーン。何かお困りのご様子デスネ。
なになに、ロシアと戦争したいのに、お金がない?
よござんす。ここ、パリで偶然会ったのも何かのご縁。
憎っきロシアに一泡吹かせるために、約2億ドルを融資しましょう。
と、言ったかどうかは分かりませんが、
1904年にパリで高橋とシフが偶然出会い、日露戦争の費用として、
2億ドル(2019年の45億ドル相当)の融資をしてくれたそうなんです。
つまり、突然降ってきた2億ドルの融資で、
日露戦争の費用を調達できたんですね。
金額まで一緒に見えるのは、きっと偶然ですよね(棒)。
その後、ゾンビのイメージモデルになるほどの日本軍奮闘の結果、
ロシアの東方面における南下政策は事実上頓挫させたのですが、
これって、追っ払っただけなんですよね。
ロシアも負けたとまでは思っていないですから、
賠償金の支払いなどは、断固拒否。
向こうも向こうでそのままロシア革命に突入してますから、
日露戦争の結果、日本政府の手元に残ったのは、ほぼ借金のみって感じです。
そんなこんなで、戦後は金利を支払い続けることになりましたから、
あまりお金がない状態が続きました。
でも、困ってると、お金を貸してくれる人が
いつも突然&偶然、現れてくれるんですよね~。
太平洋戦争の戦費なども、当然方々から借りまくっていたのに負けちゃったので、
いよいよ戦後、耳を揃えて返さなきゃならないぞ!
となったんですね。
そこで、日本政府が行ったのが『預金封鎖』なんですが、
これについては後述します。
ちなみに、シフは「日露戦争で最も儲けた」人物となり、
ウォール街を手中におさめました。
偶然ってすごいですね。
ブレトンウッズ体制へ
1937年、アメリカでは「20ドルで金を買うよ~」って、国民から金を集めました。
その時に世界中の金の約70%が、アメリカに集まったと言われています。
ちなみにその後、アメリカはヨーロッパに35ドルで金を売ったんですけどね。
(ボロ儲けやんって感じなんですが、結果的に一番お得だったのはイギリス)
さて、太平洋戦争も、第二次世界大戦も終盤期に入った1944年、
日本がそんなアメリカ様に上空から爆弾をバンバン落とされていた頃、
ブレトンウッズ体制となります。
ちなみに、ブレトンウッズ体制とは、「米ドルのみを金と兌換できる基軸通貨として、
他の国の通貨はドルと交換比率を固定して、為替相場を安定化する体制のこと」です。
これが日本の戦後、1ドル=約360円の時代に繋がるんですが、、、
1944年の時点で、基軸が米ドルのみってことなんだから、
既に勝敗決まってるやんけ! って言いたい。
まぁ、やる前から決まっていたけど。